〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-U』 〜 〜
あ らす じ

2012/05/02 (水) 為 義 、 最 後 の 事

はたして義朝に対して、 「為義がお前のところにいるというが、頸を ねて参れ」 との命令が下った。義朝は、今度の軍功にかえてもと、父の命乞いをするが許されず、思いあぐんで、つい腹心ふくしん の家来鎌田かまだ 政清まさきよ に、その処置を任せてしまう。
鎌田は、東山の庵室で余生を送られるようにとだまして、真夜中に為義を車に乗せて出るが、途中、車から輿こし に乗り換えるところで、だまし討ちしようとする。為義は驚いて、 「さては義朝に出し抜かれたか。仏が衆生しゅじょう を念じ給うように、衆生は仏を念ずることなく、父母が子を思うように、子は父母を思うものではないと、仏がお説きになっているとおりだ」 と、涙にむせび泣くが、為義も清和天皇の子孫、六孫王ろくそんおう の末、鎮守府ちんじゅふ 将軍頼義よりよし の孫、征夷せいい 将軍義家の子息、昨日までは上皇方の大将軍である。気をとりなおして、 「早々、斬れ」 と西に向かって念仏を唱え、ついに、源氏相伝の家来の手にかかって斬られてしまった。
首実験が終わると、為義の首は義朝に賜ったので、死骸とともに煙にして手厚く葬ったが、父を殺した義朝の供養である。為義の魂も、どうしてこれを心よく受けることができよう。
為義の五人の子供たちも、鞍馬くらま をはじめ、あちらこちらに隠れ伏していたが、義朝の討手うって がみなから って斬り捨ててしまった。ただ為朝だけは、太刀を打ち振って逃げ去り、どこへ隠れたのか行方も知れなかった。

『保元物語・平治物語』 発行所:角川書店  ヨ リ