「父上。ちょっと、お待ち下さい」 呼び止める声に、清盛は、ふり向いた。いま、天機を拝して、対
ノ屋
のわが居間へ退
って来た細殿
の朝である。 「重盛か。どうだ、今朝あたり、街
の様子は」 「一巡して、見てまわりましたところ、もはや市人
も、日ごろのように市を開き、店屋
も物を並べ、常のように、回っております」 「諸所への、布令
は」 「辻々
に、立てさせました」 「街の者の安心が第一だからな。ご苦労、ご苦労。お許
は、おとといから、まだ、具足も脱いでおるまいに」 「若いのです。疲れは知りません」 「いまも、主上のおん前で、お許と、悪源太との、一騎一騎の勝負を見たと言う者のうわさが、叡聞
に達していたぞ」 「そうですか」 と重盛は、さりげない。ほかの用向きを言い出したいのに、父はなお、しゃべりやまなかった。 「子を賞
められて、うれしくない親はない。親のおれは、聞くだに、鼻が高かったよ」 「あの。父上」 「池ノ尼殿から、お許も、聞くであろうが、そのくせ、おれは父忠盛へは、、あまり孝行者ではなかったのにな。ははは。・・・・ときに、昨夜、頼盛に申し付けてやった仁和寺の内には、あきれるほど、雑魚
大魚
が、隠れていたというではないか」 「はい。それで、そのことについて」 「なんだ」 「ここでは、恐れ入ります」 「すわろうか」 「細殿は、火の気もございません。お居間で、お聴
き下さいましょうか」 「対ノ屋には、けさ、山から帰った時子やら、幼い者が、部屋のある限りに、あふれている。立ち話でいい。なんだ、用とは」 「越後どのを、お助け下さいませ」 「越後中将成親をか。・・・・それは出来ぬ。いま御前で、信頼の死罪も決められたばかりのところだ」 「越後どのは、善人です」 「それやあ、信頼だって、悪人ではないよ。火
悪戯
の好きな坊
ンちにすぎぬ」 「じつは、わたくし、あの越後どのには、宮中の出仕のままだ慣れぬころ、よく親切にしていただいた恩があります。少年のころの記憶のせいか、忘れ難く思っていました。──
と今、街を見てまわって戻り、厩
へ馬を入れますと、一つの馬房
の前に、越前どのが、縛
りつけられて、オオ、大弐どのの公達よ、とわたくしを呼ぶではございませんか」 「それで、泣きつかれたか」 「父上、私の軍功に代えて、あのお人の一命を、お助けくださるように。主上へもお願いしてください」 「ま、考えておこう」 「でも、今日はもう、重罪の人びとは、河原で斬られると、聞いていますが」 「だから、考えておこうというのだ。──
が。重盛。余り召捕人どものいる所へ、姿を見せるなよ。見せたら、地獄へ、地蔵
菩薩
か観世音が降
りたようなものになるぞ」 うわさの通り、その日、六条河原で、幾人もの謀反人が、死刑になった。が、越後中将は、呼び出されなかった。 夕方のさいごに、信頼が、引き出された。 信頼は、一日中、号泣
して、哀訴していたが、ついに免
されなかったものである。 河原での太刀取りは、松浦太郎重俊がつとめた。 が、どうしても、観念しない。 泣く、あばれる、もがく。 斬り損じたため、重俊は、かき首にして、検証のために、持ち帰った。 ──
すると、なお立ち去らない見物の群れから、年七十ぢかい、柿色
の布直垂を着た入道が、旅づえをつき、文書袋を首にかけて、大勢をかき分けながら、そこへ出て来た。 人びとは見て、 「あわれ、年来
、信頼に仕えた下部
が、主の亡骸
を収めてゆくのか」 と思っていると、そうではなく、その老人は、はったと、死骸
をねめつけ、 「やおれ、おのれの死にざまよ。あの世まで、思い知れかし」 と、杖を振り上げて、何度も何度も、打つのであった。そして、見物たちへ向い、 「聞けよ、市
の衆
。おいどは、丹波
の国庁
の吏
、石堂監物
というものじゃがよ。相伝
の所領を、この右衛門督信頼に没収され、わが身を始め、せがれ夫婦の眷族
まで、数年、
飢寒
にさらされたのじゃ。好んで、酷
い真似をするのではないが、こうでもせねば、無念が癒
えぬわな・・・・あな心地よし、いくらか、腹がいえたぞ」 と、演舌して、立ち去った。 群集の眼は、かえって、老入道の背を、いやしみ、憎んで見送った。初めは、信頼の死に方を笑って見ていた群集だったが、他人が、死者に笞
打
つのを見ると、自分たちの心のうちにあった残忍なものに気づいて、何か、いやな気持に陥ってしまったのである。
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