「左馬頭
、左馬頭。・・・・約束が違うであろうが」 たれかと想
えば、右衛
門督
信頼
だった。 武装した弱
公卿
六、七人と、雑色四十人ほどに守られ、馬も人もへなへなになりながらも、追いついて来たものらしい。 「なに、信頼卿だと」 義朝は自分から馬を近づけて行き、かれと、面
を見合すやいなや、胸のつかえを吐き出すように言った。 「今となって、申すではないが、あなたの顔は、見るのもいやだ。ムシ
酸
が走る。おそらく、あなたも、義朝の顔を見るのは好まれないはずだ。何しに、義朝を慕って来られたか」 「や、や。頭殿
は、そんなお心か」 「お心かとは」 「ふたりは味方ではないか」 「さらばよ、悪縁の
──」 「負けたゆえに、悪縁というか。そもそも合戦の始めに、和殿
はなんと言われたぞ。こと破れなば、東国へ下
って、再挙をはからん。そのおりには、麿
もともにと約したではないか」 「生死も一つと、誓えばこそ、あなたにも、そう申したのだ。ところが、あなたの総帥
ぶりは、どうだったか。いつ、あなたは義朝と一緒に戦ったか」 「そ、それは、この麿
の任ではない。あわれ、心変わりかや、義朝」 「ああ。無念。女の泣
き言
にも似たその愚痴のばからしさよ。こんな者を盟主となし、多数の人を亡
うた自分のばかにも腹が立つ。──
ええい、見るも癪
な、公卿
面
よ」 さっきから握り震えていた手の鞭
を振り上げると、義朝は、いきなり、信頼の左の頬
を、びしりっと、撲りつけた。 「・・・・わっ。こは何事」 信頼は、顔をおさえて、馬のうなじへ、俯
っ伏した。すると、かれの従者の式部助吉という者が、 「頭殿
よ。あなたも、戦
に負けて、逆上しているのか。わが主人を、とやかく言うが、武者の大将たるあなたが、もっと知略もあり、心も剛ならば、こんな敗れはありはしない。なんじゃ、ひちにせいばかりにして」 と、ただ一人、ほえるように、ののしった。 義朝は、ぎくと黙った。──
が、式部がなお食ってかかりそうなので、 「あの男に、物いわすな」 と、左右の者に、そこをまかせて、先に馬をやってしまった。 この夜、堅田
までの山中で、義朝主従は、なお二度まで、山法師の狼群
に襲われた。 陸奥六郎義隆が、犠牲になり、また、頼朝の兄朝長が、深股
に、重傷を負った。 けれど、ようやく、龍花
を越えて、明け方近くに、堅田の浦に出、船を拾って、湖上へのがれた。岸を離れるや、人も馬も、きのうからの疲れに、綿のようになって舟底に寝くたれた。──とまれ八幡太郎義家以来、都にかくれなき武門の棟梁
として諸州に聞こえていた六条源氏の一門も、今は、波間にただよう一葉の舟そのままな相
とはなった。 ──
その明け方。 一方、義朝に振り捨てられた信頼は、夜もすがら、山の狼僧に追われて、越えもならず、また、人里の方へ、引っ返していた。 従者の兵も、いつか、ちりぢりに逃げうせてしまい、なお、馬の口輪についていたのは、式部助吉一人だった。 「この辺りで、少しお休みなされませ。干飯
を洗うて、水粥
にて進
らせましょうほどに」 「いや、飢
もじいが、食べたくもない。・・・・式部よ、わしをどこぞ、生命
ある所へ連れて行ってくれ」 「さて、いずちへ、落ちましょうぞ」 「試案もない。いずちへなりと、連れて行け」 いっているところへ、もう朝なのに、恐
らしい狼僧どもが、ぞろぞろ来て、 「おう、これは、よい物の具を着ておる」 「太刀もすぐれた品」 「賎
しからぬ装
い。鎧下
も、さだめし、よい物、着ていようぞ」 大薙刀を突きつけて、ぐるりと、取り囲み、否応もなく、主従二人の身の皮をはいでしまった。 「鞍
も置いて行け、鞍も。──
が、馬だけは、くれてやる。どこへなと、行きさらせ」 よい稼ぎを祝し合うように、狼たちは、笑いどよめいて、山の方へ立ち去った。 白絹の肌着
ひとえの姿で、裸馬の背にすがりつき、信頼は、その日、やがて仁和
寺
の門へ行って、泣きついていた。
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