郁芳門
の戦いも、待賢門に劣らない激戦だった。 ここを守る者は、
左馬頭
義朝
。攻める方は、清盛の母違いの弟、三河守頼盛。 双方の大将や、軍勢の厚みを見ても、主力は、源平両軍とも、ここにおいていることは明らかであった。 猛烈な射戦
に始まり、敵味方とも、矢数
をつかい尽くしたころ、どっと、平家の武者が、門のうちへ、なだれ込んでいた。 平家は、赤旗や赤幟
を、源氏は白の大旗や腰旗
を。 それを目標に入り乱れての乱戦となった。やがてまた、赤武者の怒涛
は、門の外へ、押し返され、逃げ足の速い先の兵は、三条の辻
の民家のあるあたりまであふれた。 何度も何度も、退
いたり、押し返したりしているうちに、義朝の卒
に、八町
次郎
という男がいて、自慢の早足にものいわせ、頼盛の馬を、追いかけた。 それは、平家方が、四たび目の逆寄
せを、また、押し出されて、こんどは、止
まるところを知らず、総くずれになった時である。 八町次郎は、敵の雑兵の中にまぎれて、一緒に、逃げる振りをしていたが、高倉の辻まで来ると、頼盛が、目の前にいたので、 「──
得たりっ」 と、駆け寄りざま、搭
(熊手
に似た武器) の柄
を伸ばして、頼盛の兜
へ引っかけた。 「あっ」 と、頼盛は、身を反
らした。馬の上から、もんどり打つかと見えたのである。ところが、太刀を抜いて、うしろ薙
ぎに、搭の柄を、切り払った。──
かつんという音と一緒に、仰向けに、引っくり転
ったのは、八町次郎の方であった。 |