「しめた。してやったり!」 「してやったり、してやったり」 ムチを振り鳴らし、手綱をひき、御車の牛を追い立てて来た二人の牛飼
雑色
は、皇居の藻壁門
を出るやいな、飛ぶがごとく、駆けに駆けて、朱雀
から急に土御門
の角を、東へ曲がりだした。 あとから駆けていた
惟方
や経宗
たちは、迅
さに、続きかねて、 「待て待て、さは、急ぐな」 「ここまで来れば、もう大丈夫。待たれよ、待たれよ」 と、息もせいせい呼び止めた。 牛飼い二人は、やっと、足をゆるめて、 「あはははは。うしろで、悲鳴をあげておられるぞ。待とうか、景綱」 「おう、もうよかろう」 と、佇
んだ。そして後ろの人影を待ちながら、白い小
張着
の袖
で、冬の夜ながら流れる襟
もとの汗を押しぬぐっていた。 こう二人の牛飼いは、内裏
の奥まで車を入れて、巧みに、宮門のかがりや松明
にも、見破られずに来たが、いま、牛飼装束
を押し剥
いで、汗などぬぐっているのを見ると、下には、黒糸縅
しの腹巻を着、小刀を帯び、あっぱれ面構
えの武者なのであった。 まごうかたなく、伊勢古市の伊藤景綱であり、もう一名は、館
太郎貞康だった。清盛のむねをうけて、また清盛の眼にえらばれて、この大役を申し付かったことにちがいない。 ほどなく、賀茂の並木に出て、三条洞院
の角
まで来ると、堤
の蔭から、松明を持たない一群の兵が黒々と河原から這い登って来た。これなん、ここまでお迎えに出たいた清盛の一子重盛、また清盛の弟の経盛
、頼盛などの二百余騎であった。 上将たちの小声な指図
のもとに、兵は縦隊を作って、御車の前後をまもり、やがて、五条大橋へかかったが、時は平治元年十二月二十五日の真夜半すぎで、このころから墨のような低い夜雲
はチラチラと大つぶなびたん雪を篩
っていた。 「雪も、吉兆」 「雪もめでたし」 と、首尾よく行幸を仰いだ平家の人々は、もの狂わしいほど、わき立った。雪の中で、ひょうきんに踊り出す者もすらあった。 この晩まで、燈火は一切禁じて、無明
、無表情の砦
を守っていた六波羅だったが、御車
が、清盛邸に入ると同時に、雪の殿廊亭舎
へかけて、一斉に、星かとまごうばかり無数の燭
がともされた。 これとともに、洛中の大路小路を、五、六人ずつ一組になった平家の武者が、街
から街へ、大声でふれ歩いていた。 「今暁
、寅
ノ刻
の一点をもって、仮の皇居は、六波羅に定めおかれて候うぞ」 「上皇は、仁和寺へ。主上には、六波羅へ行幸
成
りて候うなり」 「朝敵にならじと思う人々は、急ぎ、六波羅へこそ、馳
せ参られよ」 暁闇
から日の出ごろにかけて、関白、諸大臣の車を始め、公卿
朝臣
たちの車馬は、ひきもきらず、五条を渡って、六波羅の門へ、ひしめいた。そのため、馬や車の立て所もなく、曠
れに鎧
うた下部
たちが、臨時の車だまりや馬つなぎを、にわかに、河原
表
まで張り設けたほどであった。 |