一方、安芸守清盛の率いる八百余騎は、二条河原を、やや上流にまで進み、白河北殿を下流に見て、徐々に、距離をつめつつあった。──
それを待って、対するものは、八郎為朝の一陣だった。 まだ夜は明けきれていないし、川霧は深い矢交せも、白兵戦も、開かれないが、両軍とも、その全貌
が、次第に明るく見え渡ってくるにつれて、生命の鼓動と言おうか、恐怖の無意識な叫喚といおうか、おりおりの鬨
の声を交換する。 うわあっ・・・・と、こっちで武者声をあわせると向こうでも、うわあった¥・・・・と応えてくる。それが次第に接近し、また次第に、相互の生命を迫撃しあって来りにつれて、わ、わ、わぁっ・・・・となり。う、う、うをうっ・・・・といったように、何か人間のものでない、原始時代に密林にでも朝夕していたような、異様な咆哮
に代わっていった。 が、その二つの陣に、わかれて、血を見ぬうちに、血のような叫喊
をしぼり出して、激しあっている諸声
のうちには ── もし、冷静な耳をもって聞き分ける者がいたなら ── 耳をおおうて、哭
かずにいられなかったのではあるまいか。 なぜならば、敵の中にも、自分がいたのである。一たんは、憎んでみても、やがては、憎みきれない自分の分身が ──
父をひとつにし、母を同じゅうし、家をともにし、呱々
の声を上げてからの月日をともにし、決定的には、血も一つの者同士が、内裏方にも居、新院方にも居、ただ呼ぶに ── 敵といい、味方といって、二つに、わかれていたのであった。 まことに、保元の乱を書くことは苦しい。その時代から八世紀もへだてた今日においても、そくそくと胸が傷
んでくるのである。筆写は、その精彩も描き得ないで、かえって今日の嘆息に落ち入ってしまう。 戦
そのものは、幼稚であった。戦争を遊戯しているか、芸術しているようですらある。しかい、戦争のかたちや量ではなく、戦争の持つ人間苦の内容は、今も昔もかわりはない。いや、昔のそれを、もっと拡大し、深刻化し、そして科学的進歩の上に、今日の戦争形態としたものが、人間進化の全面ではないが、一面であることは否み得ない。 ──
と、すれば、かっての古き人間の戦争は、まだ、その稚気、愛すべしとはいえないまでも、人間的とはいえるかもしれない。武器、服装にも、芸術の粋をこらし、陣前では、恥を重んじ、とまれ、精神的な何かを持とうとは心がけた。動物にはなるまいとしていた。 しかし、それにしてすら、保元の乱が、敵と味方との両陣内に、無数の人々を真っ二つに分けて戦わせたあとを見ると
── いかにその戦いが、人間の本性に背いた、むごい、傷
ましい、血みどろな一戦であったかがしのばれる。いや思いやられて、画くにも忍びなくなるのである。 次の、主なる人々が、たがいに、攻めあい、苛
みあい、殺しあう、敵味方に分かれていた事を見ても、読者と供に、眼をおおうて、われらの過去に持った歴史の一齣
に、嗟嘆 せずにはいられまいと思う。 |