この想像は、当たっていた。 木工助家貞は、老人役
として、やしきに残され、郎党二十余人とともに、六波羅に留守を命ぜられていた。けれど、かれとしても、 (せがれ平六の落ち度もとがめ給わず、主人が御自身の身に代えて、今日の死地に赴かれるのを、なんで、よそごとに、見ていられようか) と、この日、ある一つの行動を、ひとり密かに抱いていた。 明け方ごろ。御台盤所
(夫人の称) の時子や、主家の女子どもなどを、竹田の安楽寿院に避難させ、つづいて、主人清盛が、院へ向かうのを送り出してから、かれは、すぐさま残る郎党を、東山の山ふところへ、潜
めてしまった。 まさか。かれとしても、清盛が、あんな大胆な行為に出るとは予期してもいなかった。叡山の衆徒が、万一、院で乱暴を働くとか、六波羅の新居を襲うとかの行動に出たら
── かれらの根拠地、祗園に火を放って、背後から、一戦しかけんものと、死に支度をしていたのである。 で。── 木工助の考えは、考えどおりではなかったが、偶発的な事態によって、かえって、予測もしない、奇功をあげたわけだった。 やがて、清盛の無事をたずねて、その木工助や平六も、この山上へ登って来た。主従は、なお生きているお互いを相見て、粛然
と、何かへ向かって、感謝せずにはいられなかった。 神輿へ矢を射た阿修羅のすがたも清盛なら、いま、家人
とともに、赤い太陽へ、掌
を合わせて、感謝しているのも、清盛のすがたである。 どっちが、かれの本心か。その、どっちも、かれの真体といえるのだろう。かれ自身は、なんらの矛盾も、感じてはいない。 「まことに、きょうのことは、天地の御加護だ。不つつかな清盛を、祖先も、あわれと見て、守ってくださったものと思われる」 清盛は、つぶやいた。
── おれは正しいのだ、と自負するところに、かれは、唯一な心の拠りどころをもつものらしい。 かれはなお、半裸のままだった。岩盤の上に座って、快然と、こうも言った。 「なあ、みなの者。まず、今日の一難は去ったぞ。・・・・だが、明日。また明後日。明々後日。
── 来るぞ。このあとの大揺れが」 「参りましょうとも・・・・揺り返しは、生やさしくは、ございますまい」 木工助は、眉
を伏せた。 「おう、百難も来い。おれは、闘
ってみせる。おれには、二つの味方がある」 「──
と、仰るのは」 「第一は、今出川なる父上の御理解だ。第二の味方は、石の雨だ。・・・・じじも見たろう。どこからともなく、わんわんと出て来て、法師
輩
へ、石をなげうったあの人数を」 そのとき、麓の方から人声が近づいて来た。時忠は、すばやく立って、岩角から、夏山の暗い山道をのぞきこんだ。人びとも身がまえを取った。木工助はあわてて人びとをしずめた。 「まず、小殿はそのままにおわせ。ふもとに残しておいた味方であろう。お迎えに登って来たにちがいない」 かれのことば通り、やがて姿を見せたのは、みな家の子郎党の面々だった。かれらは、木工助んも指図で、祗園の諸所に放火して、伏兵の擬態
を演じた者たちである。だが、もとよりそれは、叡山の衆徒を一時驚かせれば足りることなので、社寺院の建物を、ほんとに焼いたわけではない。ただ山しばや山小屋を焼いて、煙を揚げただけにすぎなかった。人びとは、心からもう安心しあった。清盛は、そのことについても、 「じじよ、さすがは、年の功だな。おれなら、きょうの場合、感神院も蓮華寺も、焼き払っていたろうに・・・・。よく、後々
のことまで、考えてしてくれた」 と、木工助の仕方を賞めた。木工助は、顔を振って、 「いえ、いえ、これは昔、大殿の忠盛様が、昇殿のおゆるしを賜って、殿上のそねみに会い給い、豊明
の節会
に、やみ討ちにおあいなさろうとした時に、わざと、竹光
の太刀を横たえて、参内され、難を逃れたことがございまする。・・・・今日の計は、じじの知謀ではなく、大殿のそのお心を、真似
しただけにすぎません」 と、答えた。 「そうだ。・・・・父にも、長い間、そうして恥
に耐えておられた堪忍の日があった」 清盛は、じじの謙虚な答えに、ふと、スガ目の人の姿を宙に描いて、うつ向いた。 ──
何か、思い直したらしく、 「じじ、六波羅へ降って、院の御下命を、待つとしよう。おれは、おれの思うとおりを、やってのけた。これで、さばさばした。遺憾は、何もない。このうえは、慎んで、罪を待とうよ。なあ時忠」 急に立って、よろいの革胴を着こみ、同勢を連れて、音羽の谷川ぞいに、六波羅の方へ、降りはじめた。
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