〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part T-T』 〜 〜

2012/03/17 (土) 石 の 雨 (二)

この想像は、当たっていた。
木工助家貞は、老人役としよりやく として、やしきに残され、郎党二十余人とともに、六波羅に留守を命ぜられていた。けれど、かれとしても、
(せがれ平六の落ち度もとがめ給わず、主人が御自身の身に代えて、今日の死地に赴かれるのを、なんで、よそごとに、見ていられようか)
と、この日、ある一つの行動を、ひとり密かに抱いていた。
明け方ごろ。御台盤所みだいばんどころ (夫人の称) の時子や、主家の女子どもなどを、竹田の安楽寿院に避難させ、つづいて、主人清盛が、院へ向かうのを送り出してから、かれは、すぐさま残る郎党を、東山の山ふところへ、ひそ めてしまった。
まさか。かれとしても、清盛が、あんな大胆な行為に出るとは予期してもいなかった。叡山の衆徒が、万一、院で乱暴を働くとか、六波羅の新居を襲うとかの行動に出たら ── かれらの根拠地、祗園に火を放って、背後から、一戦しかけんものと、死に支度をしていたのである。
で。── 木工助の考えは、考えどおりではなかったが、偶発的な事態によって、かえって、予測もしない、奇功をあげたわけだった。
やがて、清盛の無事をたずねて、その木工助や平六も、この山上へ登って来た。主従は、なお生きているお互いを相見て、粛然しゅくぜん と、何かへ向かって、感謝せずにはいられなかった。
神輿へ矢を射た阿修羅のすがたも清盛なら、いま、家人けにん とともに、赤い太陽へ、 を合わせて、感謝しているのも、清盛のすがたである。
どっちが、かれの本心か。その、どっちも、かれの真体といえるのだろう。かれ自身は、なんらの矛盾も、感じてはいない。
「まことに、きょうのことは、天地の御加護だ。不つつかな清盛を、祖先も、あわれと見て、守ってくださったものと思われる」
清盛は、つぶやいた。 ── おれは正しいのだ、と自負するところに、かれは、唯一な心の拠りどころをもつものらしい。
かれはなお、半裸のままだった。岩盤の上に座って、快然と、こうも言った。
「なあ、みなの者。まず、今日の一難は去ったぞ。・・・・だが、明日。また明後日。明々後日。 ── 来るぞ。このあとの大揺れが」
「参りましょうとも・・・・揺り返しは、生やさしくは、ございますまい」
木工助は、まゆ を伏せた。
「おう、百難も来い。おれは、たたか ってみせる。おれには、二つの味方がある」
「── と、仰るのは」
「第一は、今出川なる父上の御理解だ。第二の味方は、石の雨だ。・・・・じじも見たろう。どこからともなく、わんわんと出て来て、法師ほうし ばら へ、石をなげうったあの人数を」
そのとき、麓の方から人声が近づいて来た。時忠は、すばやく立って、岩角から、夏山の暗い山道をのぞきこんだ。人びとも身がまえを取った。木工助はあわてて人びとをしずめた。
「まず、小殿はそのままにおわせ。ふもとに残しておいた味方であろう。お迎えに登って来たにちがいない」
かれのことば通り、やがて姿を見せたのは、みな家の子郎党の面々だった。かれらは、木工助んも指図で、祗園の諸所に放火して、伏兵の擬態ぎたい を演じた者たちである。だが、もとよりそれは、叡山の衆徒を一時驚かせれば足りることなので、社寺院の建物を、ほんとに焼いたわけではない。ただ山しばや山小屋を焼いて、煙を揚げただけにすぎなかった。人びとは、心からもう安心しあった。清盛は、そのことについても、
「じじよ、さすがは、年の功だな。おれなら、きょうの場合、感神院も蓮華寺も、焼き払っていたろうに・・・・。よく、後々あとあと のことまで、考えてしてくれた」
と、木工助の仕方を賞めた。木工助は、顔を振って、
「いえ、いえ、これは昔、大殿の忠盛様が、昇殿のおゆるしを賜って、殿上のそねみに会い給い、豊明とよのあかり節会せちえ に、やみ討ちにおあいなさろうとした時に、わざと、竹光たけみつ の太刀を横たえて、参内され、難を逃れたことがございまする。・・・・今日の計は、じじの知謀ではなく、大殿のそのお心を、真似まね しただけにすぎません」
と、答えた。
「そうだ。・・・・父にも、長い間、そうしてはじ に耐えておられた堪忍の日があった」
清盛は、じじの謙虚な答えに、ふと、スガ目の人の姿を宙に描いて、うつ向いた。
── 何か、思い直したらしく、
「じじ、六波羅へ降って、院の御下命を、待つとしよう。おれは、おれの思うとおりを、やってのけた。これで、さばさばした。遺憾は、何もない。このうえは、慎んで、罪を待とうよ。なあ時忠」
急に立って、よろいの革胴を着こみ、同勢を連れて、音羽の谷川ぞいに、六波羅の方へ、降りはじめた。

『新・平家物語(一)』 著:吉川英治 発行所:株式会社講談社 ヨ リ