風をいたみ
岩うつ波の おのれのみ くだけてものを 思ふころかな |
(源
重
之
) |
風の烈しさはわが恋心の激しさか
岩うつ波は 砕け散る
うち寄せうち寄せしても
岩はびくとも動かぬ
砕け散る波の姿は あれは ぼく
きみは岩
きみは心を動かしてもくれない
片恋の苦しさに
心砕け 心乱れる
このごろの ぼく |
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この歌は在原業平 (アリワラノナリヒラ) と同じで、意あまって言葉足らず、一読しただけでは、何の意味かようわからん、というところがある。
しかし、何か訴えたいことがあるらしい、とわかる。どこか、鬱然 (ウツゼン)
たる力が籠っている。
これが会話であれば、
「おちついて、もういっぺん、いうて下さい、つまりどういうことですか」
とやさしく持ちかけてやると、やっと本人も心のゆとりができて、
「いや、これは失礼しました、つまり、こうなんです・・・・」
としゃべることができるであろう。ビズネスの話で要件を正確に伝達するのはむつかしくないが、人間心理を説明するのは、かなり会話能力が要る。
この歌も飛躍があるので、すらりと頭へ入りにくい。しかも会話でない上に、千年前の作者にただすことはできない。こちらがようく熟読味読しないといけない。
「風をいたみ」 は、風が激しいために、風がひどいので、というような意味である。 「岩うつ波の おのれのみ」
は、岩は凝然として動きもしないが、波の方が自分からぶつかっていっては返す、そのように私も、・・・・ と、波から自分の姿を引き出しているのであろう。
何べんもこの歌を読んでいると、やっと意味が分かり、一種悽愴美 (セイソウビ)
というものに打たれる。朴訥として無口なだけに、かえって心に強い情熱を持っている青年のイメージがある。
調べが美しく、秘めた情熱をよく伝えているので、古来から愛されてきた歌である。 「くだけてものを 思ふころかな」
は 『曾丹集 (ソタンシュウ) 』 にもあるが、思い出される有名な歌には、 『梁塵秘抄』 にある、 |
「山伏の 腰につけたる 法螺貝の ちやうと落ち ていと破れ くだけて物を思ふころかな」 |
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がいい。ついでにいうと、 『梁塵秘抄』 の歌には近代的でしゃれたセンスの歌が多くて面白い。民衆の好むハヤリウタは、生命力が強い。
この重之の歌は 『詞花 (シカ) 集』 の恋の部に出ていて、詞書に、
「冷泉院 東宮と申しける時 百首歌たてまつりけるによめる」
とある。冷泉院 (レイゼンイン) 東宮時代といえば、天暦四年 (950)
から康保 (コウホウ) 四年 (967)
、そのころ源重之は若き帯刀先生 (タテワキセンジョウ) (東宮警備の長)
であった。重之の生没年は分からないが、長保 (チョウホウ) 年中
(999〜1003) に亡くなったのではないかといわれている。
重之は清和天皇の皇子、貞元新王の孫にあたる。清和源氏といわれる家すずである。
三十六歌仙の一人で、勅撰集に入った歌は六十六首、 『重之集』 という歌集もある。
それで見ると、重之はずいぶんあちこちへと赴任しているようである。最後は赴任先の陸奥で没している。当時の歌人としては見聞が広かったらしい。ついでに各地の女性とも交渉が会ったらしいが、かの元良親王のように、発散型の恋愛ではなく、みな、しんみりと地味である。赴任先によっては、京に子を置いてゆくこともあり、田舎へ伴う子もあったらしい。
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「人の世は 露なりけりと しりぬれば 親子の道に 心おかなむ」 |
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大きくなった子を、陸奥で死なせたりした。 |
「さもこそは 人におとれる 我ならめ おのが子にさへ 後 (オク)
れぬるかな |
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年老いて陸奥に二度の赴任となった。 |
「旅人の わびしきことは 草枕 雪降るときの 氷なりけり」 |
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昔、会った衣川の関の長は、当然ながら昔より老いていた。 |
「昔みし 関守もみな 老いにけり 年のゆくをば えやはとどむる」 |
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「忍ぶれど」 の40番の作者、平兼盛とは親交があったらしい。兼盛は重之に歌をおくっている。重之は身内の一族もろとも引連れて陸奥へいっていたのか、
『拾遺和歌集』 にはこうある。
「陸奥国名取 (ナトリ) の郡、黒塚 (クロヅカ)
といふ所に重之が妹あまた住むと聞き侍りていひつかはしける」 という詞書で、兼之の歌。 |
「みちのくの 安達 (アダチ)
が原の 黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか」 |
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安達が原は福島県の安達太良 (アダタラ) 山の東の裾野という。黒塚に鬼女が住んだという伝説があるので、妹たちを鬼にたとえて諧謔したもの。重之自身にはこの軽みはないようである。人生の辛酸を経て、マジメで地味な性格になったのか。
「いやあ、それはひたすら、そういう生まれつきなんでしょう、運命ですな」
熊八中年は運命論者である。 |
「田辺聖子の小倉百人一首」 著:田辺 聖子 絵:岡田 嘉夫 ヨリ
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