[口訳]
山里というものは、冬になると、ひとしお、淋しさがまさって感じられることだ。今まで来た人も、まったく来なくなり、野原の草も、すっかり、枯れはててしまったことを考えると。
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[鑑賞]
絵巻はしだいにくりひろげられて、玉殿翠帳の、目もあざやかな恋の数々の場面から、急にさびしい冬の山里にうつる。
そこには、あらゆるもののかれはてた、寥廓としたさびしさが拡がっている。しかしこの作者は、「人めも草もかれぬと思へば」といって、「思へば」という発想の上に、すべての淋しさをしぼって来なければならなかった。しみじみと冬の孤独を思うときのみ、山里の淋しさが、はげしい歯となって、魂にかみついて来ることを感じるのであったからであろう。
しみじみとしたよい歌である。冬ごもりをして、山の静けさの中にうずくまる時、はじめて本当の自分を取りもどしたように感ずる、あの山国の人の心が思われるような歌である。
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[作者]
源宗于は光孝天皇の第一皇子是忠新王の子。
寛平6、7年のころ源氏の姓を賜り、兵部大輔・右馬頭等をへて、天慶2年に没した。天慶3年とする説もある。
和歌にすぐれ、寛平御時后宮歌合の作者であり、三十六歌撰の一人である。
勅撰集に入っている歌は15首。『大和物語』には多くの説話が残されている |
「常磐なる
松の緑も 春来れば 今一しほの 色まさりけり」 |
「忘れ草
かれもやすると つれもなき 人の心に 霜はおかなむ」 |
「わが宿の
庭の秋萩 ちりぬめり のち見む人や 悔しとは思はむ」 |
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「百人一首評解」
著:石田吉貞 発行所:有精堂出版株式会社 ヨリ |
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